こんにちは!
皆さん、プロ野球は見ますか??
私は、野球経験は全くないのですが(笑)
プロ野球を観戦するのが大好きで
毎日プロ野球ニュースで試合結果をチェックしています。
そんな私が、最近目にしたキーワードが
「赤ヘル軍団」です。
赤ヘル軍団とは、
広島を本拠地とするプロ野球チーム
「広島東洋カープ」の愛称でこの広島カープが、初優勝した時についたものです。
広島東洋カープは1950年に
戦後復興において、健全な娯楽がほしいという市民の想いに応え、
出世魚で、躍進の姿を意味し、広島県の名産である「鯉:カープ」を
チーム名とし、核たる親会社を持たない市民球団として創設されました。
今では人気選手が多く所属していて
毎年優勝争いし、カープ女子などのファンがいたりと
人気球団ですが
設立当初は、プロ野球連盟の加盟金が払えなかったり、選手への給与の支払いが滞ったりと
財政難に見舞われることもしばしば。。。
そのたびに、球場に樽で作った募金箱(樽募金)を設置し、
市民からの寄付金を募ることで、この状況を広島の人達と一丸で乗り切ってきました!
そんな毎年下位に低迷していた広島東洋カープが、球団創設から25年後の1975年に初優勝を果たします。
どのようにして、
資金力のない負け癖のついた広島カープが優勝することが出来たのでしょうか?
優勝の立役者であるルーツ監督の改革を
見ていきたいと思います!
ポイントは、選手の「意識改革」です。
まず1つ目が、チームカラーの変更です。
紺色から、赤色に変更し
選手に闘争心を植え付けました。
これが、冒頭の話に出てきた「赤ヘル」の始まりですね。
2つ目が、目標を宣言しそれを言い続けることです。
ルーツ監督は、監督就任後、
いかなる批判を浴びる中でも
「我々は優勝する!」と宣言し続けたそうです。
3つ目が、選手自身に考えさせることです。
改革の1つとして、休養日を廃止しました!
これにはチーム内からも
大きな反発があったそうですが
ルーツ監督は、
「昼過ぎまで休みを与えている。十分すぎる!自分で考えて日々コンディションを整えろ。」
とチームの決めた休養日で休むのではなく
選手自身が自分のコンディションを把握し
自分の選択で調整するようにしました。
4つ目が、適切な自己評価を選手にさせて
自身の実力が優勝チームに匹敵することを認識させ
優勝の可能性に現実味を持たせたことです。
当時のカープは、大きな補強が出来ず
下位に低迷していましたが
生え抜きの選手は、
優勝チームの選手と引けを取らない能力を持っている選手ばかりでした。
それは、長い目で選手を育てるという球団の方針で
地元出身の選手や
無名でも伸びしろのある選手を獲得し
指導力に定評のあるコーチ陣の元で
球界一の練習量と言われる猛練習を課すことで
その才能が開花し始めていました。
それを見抜いていたルーツ監督は、
キャンプ中に選手一人一人に
「君は、チャンピオンチームの選手として相応しいか?自己評価してくれ。」と問い
いかに、実力が備わっているのかの根拠を話していたそうです。
それを聞いた選手が、
もしかしたら、
本当に優勝出来るかもしれない。
と現実味を感じるようになっていたそうです。
そして、最後の5つ目が
「可能性があるなら、常に挑戦しろ!」
と繰り返し
「君たちには広島の町を明るくする責任がある!」
と、使命感を植付け、常に鼓舞し続けました。
これらの意識改革により
戦う集団へと変貌した広島カープは
当時V9(セ・リーグ9連覇)を行った、王・長島を擁する巨人にも競り勝ち
初優勝を果たしました!
優勝の瞬間、
観客がグラウンドになだれ込み
選手とファンが一体となって胴上げをする
姿があったそうです。
私自身も、
常に創意工夫と目標設定と計画を明確にし
達成するための努力を積み上げていきます!
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